2006年 01月 17日 ( 1 )

11年前・・・1.17

1995年1月17日 午前5時46分−。
当時、私はまだ学生だった。
この時間はすっかり熟睡していた。
突然の大きな揺れ。「何? 地震!?」
パイプベッドのパイプにしっかりつかまっていないと
振り落とされる上に、住んでいる家は古いので
「天井が落ちてくる!」と思った私は
咄嗟に布団と毛布を自分の体・頭の上に被った。
しばらくして、ようやく揺れが治まった。
揺れている時間は数分だっただろうが、
私にはものすごく長く感じた。
揺れが治まったのを確認して、ベッドから出ると
自分の部屋がグチャグチャになっていたのは
もちろん、タンスが倒れて学習机に支えられている
という惨状を目の当たりにした。
もし、タンスがベッドの前に置いてあったとしたら
頭を強く打っていただろう・・・。

しばらくして、下の階から両親の
「何してんの!早く降りてきなさい!」という声がかかった。
「全く、呑気に自分の部屋に居てからに・・・」と、言うが
あんな大きな揺れの中じゃ動けないっての!
それから、私達一家4人は玄関前の廊下で身を固くして
体を寄せあっていた。
(ちなみにこのblogのロゴ写真にもある、うちの飼い猫は
 2階の押し入れの中で丸くなっていた・・・)
大きな揺れは治まったものの、震度4〜5程度の余震は
依然として続くままだ。
この時ほど「死」を間近に感じたことはなかった。
きっと、さっきの揺れ以上の地震がまたやって来るんだ、と
思ってたから・・・。

当然、電気・水道・ガスなどのライフラインは全てストップ。
携帯ラジオでもあれば良かったのだが、
恥ずかしながらそれは置いてなかった・・・。
だから、状況が全くわからないままだ。
でも、そういえば・・・。
当時、弟の持っていたSEGAの携帯ゲーム機
(SEGA社の製品なので「ゲームボーイ」ではない、
 が、製品名完全に忘れた・・・)
にTVチューナーを付ければ、TVが映るんじゃ・・・?
と、考えた私はすぐ弟の部屋に行き、携帯ゲーム機を
取りに行き、乾電池をはめ、チューナーを設置し
電源を入れた。やった、成功!
と、思ったのもつかの間、ゲーム機に映っていたのは
三ノ宮のビルが倒壊、阪神高速道路が真っ二つに割れ、
ギリギリのところでバスが止まっているという
超衝撃映像だった。

夕方になって意外にも早く、電気が復旧した。
そこで居間にある大きなTVを付けると
またしても衝撃映像が・・・!
なんと長田区の広い範囲で火事が発生。
火はどんどん広がるばかりで、一向に消える気配がない。
まさに火の海である。
長田区は私の両親の育った場所であり、
実際に叔父さんも住んでいるので
(祖父、祖母は父方・母方共にすでに他界)
すごく心配になった。
火はもの凄い勢いで燃え広がり、西隣の須磨区にまで
被害が及んだ様子。
私が住んでいる所は、須磨区の更に西隣の垂水区なので
「ひょっとしたら、ここにまで火が達するんじゃ・・・?」と
思い、また「死」を実感した。
それに死亡者リストがどんどん増えて行く・・・。
あの時の恐ろしい光景は今でもリアルに思い出せる。

結局、長田区にいた叔父さんは無事で
家も倒壊することなく
(と、いっても半壊なのだが)
友人含め私の身近にいた人も大丈夫だったのが救いだったが。
でも、しばらくはガス・水道がなかなか復旧しないので
生活は大変だった。
特にお風呂は銭湯に何時間も並んで入ったり、
(今みたいに街の至るところに、
スーパー銭湯などがある時代ではなかったので)
親戚の家に行って入らせてもらったり・・・。
明石の親戚の家に車で行くのに、1時間経っても神戸から
出られなくて、結局お風呂を断念という事もあった。
しかし、こんな事も実際に家や愛する人を亡くした方々に
してみれば「苦労」とは言わないだろう。
亡くなられた方々、改めてご冥福をお祈りいたします。
それに命が助かった方々の中にもやはりまだ
阪神大震災の恐怖に苦しめられている人もいるだろう。

長くなったが、私にとって「1.17」は一生忘れられない。
皮肉な事にこの大事な日に、ヒューザーの大バカ社長の
証人喚問があったとは・・・。
しかも、TVで見たがあやふやな答弁拒否ばかり。
実際にこのおっさんに震度7の恐怖を味あわせたいよ(ため息)。
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by nyalin290 | 2006-01-17 17:34 | 時事問題